小黒金物店 第9回 私と小黒さん

私に小黒さんの存在を教えてくれたのは斉藤さんだった。別件の取材で前橋市の群馬大学医学部を訪れたときだ。見知らぬ学生が寄ってきて、突然

「記者さんですか?」

と聞いてきた。恐らく、一眼レフのカメラをぶら下げていたからだろう。
そうだ、と答えると、小黒さんを取材して記事にしてほしいという。あれこれ話を聞いていて、そういえば見たこともないほど鋭い刃を持つ鍬を何本も店頭に並べた店が桐生にあったことを思い出した。隣の動物病院に愛犬を連れて行った時の記憶である。どうやらそれが小黒金物店らしい。

しかし、記事にしろと言われても安請け合いはできない。考えてみるとだけ答えて大学を出た。

数日考えた。目新しいことはないからニュースではない。だが、弟子を取らない師匠に押しかけ弟子ができたという街の話題としては取り上げることができる。すぐに取材し、記事にした。小黒さんとはそれ以来のお付き合いである。

鍛冶場に入って小黒さんの仕事を見る。お茶をいただきながら話を伺う。そのうち、小黒さんが鍛えた刃物がほしくなった。
が、私は料理人ではない。農作業もしない。庭仕事も苦手だ。どうも、刃物とは余り縁のない暮らしである。では、何が良かろう? と考えてナイフを思いついた。

まずショーウインドウを覗いた。
10本ほど飾ってあった。

「この程度の大きさがいい」

と思った切り出しナイフには鞘がない。始末の悪い私は、鞘なしのナイフは道具箱に放り込んで刃こぼれさせそうである。だから何としても鞘つきがほしい。だが、置いてある鞘つきナイフは大きすぎて取り扱いに困る。

「うーん」

と考え込んでいると、小黒さんが

「じゃあ、新しくつくるわ」

といってくれた。ありがたく申し出を受け、サイズを告げた。

「出来たら連絡するからさ」

そんな声を背に小黒さんの店を出た。小黒さんが鍛えたナイフが私のもになる。なんだかワクワクした。

小黒金物店 第10回 いろいろな客

2017年夏の、ある夕暮れのことだった。そろそろ夕食という頃、桐生市役所から電話が来た。

「小黒さんの店に行きたいといって、神奈川県から女性が見えています。ちょっと遅いけど、お店に案内していいですか?」

すでに店のシャッターは閉じていた。しかし、神奈川県からわざわざここまで。

「はい、いいですよ。シャッターは開けておきますから、どうぞ」

待つうちに、30歳前後と見える女性が店に入ってきた。調理の修行中なのだという。腕を上げるにはいい包丁がいる。そう思い立ち、いい包丁を探して名高い堺まで足を伸ばしたが、気に入ったものに出会えなかった。
そんな頃、知人が

「桐生に小黒さんという鍛冶屋さんがいる。小黒さんの手打ちの包丁は切れ味が良く、長切れする」

と教えてくれた。今日は仕事が休み。遅い時間になって申し訳ないと思ったが、1日も早くいい包丁が欲しいという気持ちに負けて来てしまった。

「そうでしたか。うちの包丁はね……」

話しながら、作り置きの包丁を出して見せると、女性の目が光った。まるでなめるように包丁を見、刃に指を当て

「これ、いただいていきます」

気に入ったのだろう。代金を払うと、自分で選んだ包丁を抱きかかえるようにして帰って行った。

「あの人、あの包丁で修行してるんだよねえ」

小黒さんは嬉しそうに思い出話をした。

彼女のような客が関東一円からやってくる。彼女のように、その場で買う客がいる。こんな包丁を打ってくれ、と頼んで戻っていく客もいる。一度では決心がつかないのか、3度、5度とやってきて、やっと自分の一丁を決める人もいる。

朝倉染布第1回 魔法の布

朝倉染布の大ヒット商品、超撥水風呂敷「ながれ」は魔法の布だ。

布なのに、濡れない。水をはじく。平らに置いて水をかけると、布に残った水は玉になって布の上をコロコロと転がる。まるで蓮の葉の上で踊る朝露だ。初夏、蓮の葉の朝露を集めて墨をすり、笹に下げる短冊に願いを書いた幼き日を思い出す。

だから、「ながれ」があれば雨も恐くない。降り出したら頭からかぶればいい。少しの雨ならこれでやり過ごせる。

濡らしたくないものがあれば、もう1枚の「ながれ」を取り出してくるむ。友人のカメラマンはいつもバッグに「ながれ」を潜ませている。

「いつ何時、雨にたたられるか分かりませんからね。『ながれ』さえあれば、撮影地で突然の雨に襲われて雨中でシャッターを押す羽目に陥っても、大事な商売道具のカメラは救えますから」

水が運べる。「ながれ」で袋をつくり、中に水を入れれば漏れ出すことはない。緊急時のバケツ代わりとして立派に役割を果たす。

それなのに。

「ながれ」は水を通す。「ながれ」で水を包み込んだだけではバケツになるのに、少し力を入れてギュッと絞ってやれば、縫い目からシャワーのように水がほとばしる。設備がないキャンプ地でも、水さえあればシャワーの心地よさが堪能できる。

水を通すほどだから、もちろん空気の出入りは自由だ。こいつを身にまとえば、雨ははじく。でも肌が発散する水分は閉じ込められることなく発散し、中は蒸れない。理想的なレインコートの生地である。

朝倉染布第2回 おむつカバー

30数年前までの赤ちゃんのお尻は赤かった。赤い湿疹ができていかにもかゆそうだ。おむつかぶれである。

おむつなんてしなければお尻の周りが赤くなったり、泣き叫ぶほどかゆくなったりすることなんかないのに。いつもスッポンポンにしておいてよ。何でおむつなんかするんだ?

赤ちゃんはそう叫びたいのだろうな、というのは子育て中の親には、分かりすぎるほど分かっていた。おむつを取り替えるたびに、愛児の股間からお尻にかけて肌が真っ赤になり、ブツブツまでできているのがいやでも目に入るのだ。

「かわいそうに」

とは思う。だが、親にも事情がある。布団やベッドで寝ている愛児がおしっこやうんちを垂れ流しては、後始末に困る。それに、布団もベッドも代えはない。何らかの防御策が必要なのだ。

「ごめんね」

と心の中で謝りながら赤くなった肌を、湯で温かく湿らせたタオルで綺麗に拭き、クリームをすり込む。天花粉をはたいて洗いたてのおしめで愛児の股間をくるみ、ビニールやゴムなどで防水加工されたおしめカバーでくるみ、ボタンを留める。いま50歳から上の世代の方々の多くには、きっと記憶の片隅にそんな情景があるはずだ。

この防水素材がいけないんだろうな、と想像はつく。水を通さないからきっと中が蒸れるのだ。だが、代替手段はない。一日も早くおしめが取れてくれればこんな思いをさせなくても済むのだが、と諦めるしかなかった。

朝倉染布第3回 共同特許

水をはじく機能を持つ撥水剤を、架橋剤と呼ばれる薬剤で繊維に付着させる。言葉で書いてしまえば、撥水布を作るのはそれだけのことだ。いまなら、撥水加工ができるのは朝倉染布だけではない。

だが、技術開発の歴史とは、「それだけのこと」を実現するために流された汗の歴史でもある。
東レに呼びかけられた朝倉染布は共同研究に取り組み始めた。撥水剤を何に溶け込ませれば布に着きやすくなるのか。架橋剤にはどれがいいか。量産化するためにはどんな設備が必要か。課題は山ほどもあった。2社の共同研究チームは一つずつ難所を乗り越えていった。

試行錯誤を重ね、やっと布の撥水加工に成功したのは1980年のことである。撥水機能を持つ布を創り出すことができたのである。使ったのは有機溶剤にシリコンを溶け込ませた撥水剤だった。東レと朝倉染布は共同特許を取得し、すぐにおむつカバー用の生地として加工を始めたのはいうまでもない。

1980年、蒸れない、漏れないおしめカバーが売り出された。狙い通り、お母さん、お父さんに大歓迎を受けた。大成功である。

だが、問題があった。20回ほど洗濯すると、目に見えて撥水機能が落ちたのだ。

赤ちゃんの肌は清潔に保ちたい。だから洗濯の回数は増える。
だが、洗濯とは布地に付着したものを強制的に引き離すことである。洗剤には、わざわざ付着させた撥水剤や色と、汚れを見分ける力はない。どちらも、布地から引き離さねばならない邪魔者として、遠慮なく引き離しにかかる。