【2代目】
五三さんが現代の名工に認定されたのは平成9年(1997年)、80歳の時だった。跡を継いだ長男、成雄さんも平成25年(2013年)、70歳で現代の名工になった。親子2代の名工である。成雄さんが仕立ての仕事を始めたのは20歳を大きく過ぎてからだったから、父よりずっと速い足取りでこの名誉を射止めたことになる。
仕事を始めるのが遅れたには訳がある。和裁を継ぐ気がなかったのだ。
「父は、昼間は研究所を母に任せっきりで和裁業界の地位向上のためにあちこち奔走し、戻ったと思うと夜遅くまで仕立て仕事をしていました。ああ、こんなことは私にはできないな、したくないな、と」
桐生工業高校機械科を出て地元の精密モーターメーカーに就職した。高校の知識では足りないと痛感し、群馬大学の夜間部に通った。努力は実る。やがて新しいモーターの設計を任されるようになった。充実した日々だった。
それなのに。
「ふっと、父の仕事を残さなくちゃ、って思ったんです」
会社を辞めたのは、確か24、5歳の時だった。職場からは引き止められた。東京の会社からは
「辞めるのなら、うちに来ないか」
と誘われた。しかし、迷いはなかった。
「何故だったんでしょうねえ。サラリーマンとしてはまずまず順調でしたし、両親とも和裁士として働いていたのに、我が家の暮らしは決して楽ではありませんでしたから、和裁の方が実入りがいいとも思いませんでしたし」
東京のデパート系和裁所に修行に出た。同期生は中学、高校の新卒生ばかりである。すでに大人の年代に達しているのは成雄さんだけ。負けるわけにはいかない。朝7時から夜7時が定時である。しかし、夕食を済ますと1人仕事場に戻り、10時、11時まで一心不乱に針を持った。
3年半後の修行を終えた昭和45年(1970年)、桐生に戻り、岡田和裁研究所で働き始めた。
写真:岡田成雄さん(右)と恵子さん